お見事、FEST VAINQUEUR!メンツにこだわる芸能プロというお仕事

お見事、FEST VAINQUEUR!メンツにこだわる芸能プロというお仕事

画期的な東京高裁の判決

先日のYahoo!の芸能ニュースに、ヴィジュアル系ロックバンドFEST VAINQUEUR (フェスト ヴァンクール)が、所属していた芸能事務所から独立に乗り掛かったところ、事務所から彼らが今まで使っていたバンド名を使用させないという仕打ちを受けた。

バンドは裁判に持ちこみ一審では敗れはしたものの、二審の東京高等裁判所において、見事勝利を収めたという記事があった。

あいにくと私はこのバンドのことを存じ上げないのだが、まったくもってあっぱれなことだと思った。

独立を望んだとたん、反乱とみなされ干されるとか、芸名を使わせないとかいう例は、芸能界では日常茶飯事にある。有名なところでは90年代初頭にトレンディドラマでスターダムにのし上がったKとか、もっと酷い例として本名を使わせない朝ドラ女優Nの例が過去にある。



FEST VAINQUEURは実によく戦ったと思う。記事のインタビューの中で、彼らが「バンド名を使わせないということで、事務所にいったいなんの利益があるのかがわからない」と言っていた。

もっともである。利益なんぞないのである。

『じゃあ、なんでそんなことするの?』と、一般の方は思うだろう。

それは、顔を潰されたとか、生意気だとか、まあ自分たちの思い通りにならないから嫌がらせをしてつぶしてしまえ、という極めて低俗で野卑な話なのである。

日本の芸能界にはこのヤクザ・テキヤの考え方をする方々が少なからず実在する。まあそうであるのも当たり前で、もともと芸能という稼業がそちらの方々の専業に類するものなのである。顔を潰すの潰されたのということは、世間一般の感覚ではなく、ヤクザ・テキヤの感覚なのである。

メンツにこだわり続ける芸能業界

一つ例をあげてみると、大分以前、私の知り合いに大変に人気のあるレースクインの女の子がいた。レースクイーンとしては日本のトップクラスであり、グラビアでは青年漫画雑誌の巻頭カラーページを何回となく飾っていた、大変に美しくスタイルのいい女性であった。

当然事務所も売り込みに力を入れ、同世代のアイドルたちが出演するそこそこのレベルの映画にも出演するようになっていた。ついでにレースクイーンとしての収入について書いておくと、彼女いわく、「月に二日働けば、残りの日を笑って過ごせるレベル」であったという。

彼女の手取りがそうならば、所属プロダクションの収入はそれ以上であったわけである。

だが、彼女は映画に出ているうちにレースクイーンやタレントではなく、ゆくゆくはちゃんとした女優になりたいと思い始めた。そして、思いは募り、彼女はそのことを事務所の社長にお願いをした。

結果は、悲惨であった。



筋のよくない系列の社長は、なぜかこれを育ての親である自分の顔に泥を塗るものだと怒り狂ったのである。そして、彼女を事務所から追放し、徹底的に芸能活動から干しあげたのだ。

彼女は別にレースクインやグラビアの仕事をしないといったわけではなく、将来的に演技で食べていきたいと言っただけだったのに。

結局、彼女は芸能界を去り女優になる夢は潰えてしまった。

冷静に考えれば、これほどの人気者を手放すなどというのは実にバカげたことである。金の卵をうむニワトリを殺してしまうことなのだから。

だが、それでもヤクザ者の社長は自分のメンツ(と、自身で信じている)を重んじ、実利と一人の人間の人生を台無しにしたのだ。

このメンツという感覚は一般人にはわかりづらい。

20年ほど前までは映画の企画でも、あるプロデューサーのところに持ち込んで、ボツになったものは、ほかのプロデューサーのところには持ち込めないなどということがあった。

理由は自分がボツにしたものが別のところで作品になり、当たりでもしたら自分のメンツが潰されてしまうということだったからだ。

バカではないのかと思うが、事実である。

だから今回のFEST VAINQUEURのグループ名とそのパブリシティー権(それによって経済的利益が生まれる権利)はアーティストに帰属するという東京高裁の判決は、この前世紀の遺物としか思われていなかったメンツ主義に風穴を開けて、業界全体が現代的にそして健全になっていく兆しになってほしい。

そう願わずにはいられない。

(ヴァールハイト及部 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

画像『BREAK!! [通常盤]

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